法月仁の解釈

・めっちゃ個人的なものなので合わないと感じたらぜひ見なかったことにしてください。
・集めきれてない資料ばかりなので、何か足りなければ教えて下さるとうれしいです…買います…。
・大前提として、法月仁には自覚している感情や目的・考えと、無意識下にある感情や願望の2つが存在し、それらが全て作用して言動していると考えています。意図して概ね断定口調ですが、全部「たぶんこうじゃなーい?(不安)」の気持ちです。

・2020年6月7日 その後の展開や設定集、舞台2作目での演出を含めた加筆修正をしました。(このいろ)

 

法月仁の目的


・RL“「自分が正しい」ことを誰かに認めてもらう”(アニメージュ2014年7月号)
・KOP“聖の全てを奪う”(1作目のセリフ)

 

雑誌で語られたRL時点での目的ですが、これは無意識下のものです。自覚している行動心理としては、格至上主義のもと、現役時代に抱いていたであろう「プリズムキングにならなければいけない」と同じで「エーデルローズの主宰としてプリズムクイーンをエーデルローズから出さねばならない」「父親に託された速水ヒロを王者に育てなければならない」といった、仁にとっての当たり前の完璧主義の生き方の延長です。根拠は、KOPのように個人への執着が伺えない=特定の個人を傷付ける・貶めることを目的としていない点です。

そして無意識下で認めて欲しがっている誰かとは、父、あるいは両親です。

法月仁は両親に愛されずに育ちました。

皇は愛の財力を、愛は皇の格を求めて愛のない結婚をしました。その後に皇は本当に愛せる女性、聖の母であるマリアと出会います。愛は別れぬ人質として仁を産みますが、愛にとっては仁も皇もコレクションの1つにすぎず、愛していたわけではありませんでした(アニメージュ2014年7月号)。また、仁の「格」を重視するあまり本物を見抜くことが出来ない性質は愛譲りであり(アニメージュ2014spring)、愛のその性質を愛せなかった皇にとって、成長とともに愛に似ていく仁のこともまた愛することができなくなっていきました(アニメージュ2014年7月号)。

皇は兄である仁の真似をしてプリズムジャンプをした聖を「すごいぞ!」と褒めます。仁は本当に幼い頃は皇に褒められたこともありましたが記憶にはなく、自分を1度も褒めたことのない父が聖を褒めたことにショックを受け、兄としての威厳に傷がついてしまいます(アニメージュ特別増刊号)。また、愛も聖のショーに感激し仁がショックを受けている、と捉えられるワンカットがSSS5話にて明かされました。

仁はかつてプリズムキングでした。ファンもたくさん居たし、お手伝いさんに誕生日をお祝いしてもらってもらったりもしています。それでも祝ってほしい人には祝ってもらえず(2016年舞台挨拶・静岡)特別なものではありませんでした。2015年、如月ルヰと出会い彼がただ一緒に過ごしてくれたことが最高のプレゼントに思えました(たぶん舞台挨拶等イベントか監督のツイートからだと思うのですが、明確なソースが確認できなかったため覚えてる人いたら教えてください)。キングになり、コーチになり、主宰になり、おそらくは山田リョウというキングも育て、ヒロに慕われ、名門校として更に有名になっても満たされず、与えられないものは親からの愛です。父、あるいは両親と記したのは、聖に対しての「親父に可愛がられているからって、調子に乗るなよ」(RL32話)という発言はありますが、愛に関しての発言やRL時点での執着をうかがわせる言動がみられないためです。しかしSSSにて愛にも当時から執着していた可能性が出てきましたので、このようにしました。

仁は自身の親が聖よりも褒めて、認めて、愛してくれることを願って常にトップを目指し続けています。

 

では、KOPでの目的が聖への復讐へと変わったのは何故か。RLにて悪事がばれた仁は皇にすべてを否定されます(RL45話)。「自分が正しい」ことを皇に認めてもらうためにやってきたすべてを否定されても仁は何も言えませんが、最終回にてエーデルローズへの復讐を誓います。それまで皇の言いなりだった仁にとって初めての遅すぎる反抗期(アニメージュ特別増刊号)となるわけですが、この時は聖個人ではなく皇や自分を裏切ったヒロを含めたエーデルローズへの恨みを言葉にしています。反抗期、と言うからには自分を否定し聖を贔屓する皇に向いた感情だったはずですが、皇は約1年の間にがんで亡くなってしまいます。文句を言う相手が、いなくなってしまったんですね。昔から持っていた嫉妬心、劣等感、逆になんで今まで聖個人を憎まずにいたのかと思うくらいですが、それらが皇の死を経てやっと爆発します。仁は、父の愛(あるい母のさえ)も、エーデルローズ主宰の座も、好きになった天羽ジュネの愛も、聖に「奪われた」とどこかで認識しているからこそ「すべてを奪ってやる」と言い、ジュネ以外を奪えたと確信したときにこそジュネに向かって「俺はすべてを持っている」と発言しました。キングの座も、エーデルローズの借金も、ジュネさえも思い通りにならなかった仁は「すべてを失くした」ように感じてしまったのでしょうか…うう…脱線してすみません…。

聖への復讐を目的としている仁ですが、では聖が本当にすべてを失えば満たされるのでしょうか。いいえ、何故ならたとえ聖がすべてを失ったとしても両親の愛は得られないからです。

無意識下での欲求は、無意識下にあるまま与えられ(あるいは勝ち取り)満たされるか、無意識下にあるまま代替を見つけ諦めるか、意識した上で諦めるかでなければなくならないと考えています。仁はそのどれも果たしていないどころか、その欲求と聖への復讐心は繋がっているため、復讐心を持っている限り愛を渇望しているということになります。復讐を諦めても愛は諦められないかもしれませんが、愛を諦めたら復讐も諦められる、この2つの感情はそういう関係です。

SSS5話にて愛への「お母様のご期待に沿えるよう」といった発言はこれを裏付けます。皇が亡くなったから愛に縋るしかないのか、昔から愛にも認めてほしくて努力し続けていたのかはわかりませんが、仁は「PRISM1に勝利すること」あるいは「聖への復讐を遂げること」を愛が期待していると認識しているんですね。きっとそうだろうという忖度なんです(SSS設定資料集)。仁に一瞥もくれない愛が、「そうですか」「よしなに」とまるで興味のなさそうな愛が何を考えているのかはまだわかりませんが、態度通りに受け取り、またこれが仁の幼少期からのものであれば、仁の幼少期からこのような事務的な会話しかありませんでした(SSSオールナイト上映会)。愛は仁を愛していないばかりか放任していたということになります。愛の性質を受け継いだのは愛の教育ではなく、愛に振り向いてほしい仁が必死に愛の大切にするものを学び、同じ価値観になれるようにと努力した結果なのかもしれません。単純に血かもしれないですけども…。

聖への復讐とは、外に発散する術を持たずにいた感情がまぜこぜになって、初めて自分のしたいように表現し始めた自我です。

 

法月仁の人生

 

出来事それぞれの解釈を時系列に沿って語っていきたいと思います。


1987年7月18日 誕生

 

1998年 マリアが死、聖が法月家へ

 

2002年 聖、華京院中等部へ入学、法月家を出てエーデルローズの寮へ

 

2004年 仁、1度目のキングカップ優勝

 

年代不明 聖のジャンプを皇が褒め、仁は脅威を感じる

 

年代不明 聖のショーに愛が目を輝かせるのを目撃しショックを受ける
⇒聖と距離を置く

  • アニメージュ特別増刊号では距離を置いたきっかけとして皇の件を挙げていますが、聖は愛の件と同時期に仁が距離を置いたと感じているため、この2件は同時期の出来事ということになります。
  • 初優勝したときはまだ輝いていたが、2連覇を目指す際に聖という目の上のたんこぶが台頭して悪だくみするようになる(アニメージュ特別増刊号)ため、脅威を感じ距離を置くようになる→悪だくみの順番になるわけですが、距離を置いたのが2004年のキングカップの後なのか前なのかは判断できませんでした。
  • 仁が本当に小さいときは皇も褒めていた、そうでなければキングにはなれない(アニメージュ特別増刊号)ということは、つまり仁は記憶にないほど幼い日の父からの愛を糧に1度目のキングカップまで見事に輝いて見せたということです。それを曇らせる出来事ならば、強いて言うならキングカップ後と考えるのが妥当かもしれない…と思います。

 

2006年 大学入学

  • 成人式か大学入学の際仁のスーツ姿を見た愛が「お父さんに似てないわね」と発言し、仁の心に傷を残した件(アニメージュ2014年7月号)について、私は大学の入学式を推しています。仁の将来設計としてトッププリズムスタァが採取目標ではなく、皇の後を継ぎエーデルローズの主宰になることまでが初めから予定されていたはずであり、そのためには経営学などを学ぶ必要があるのではないかと思います。また、後述の現役引退後すぐに主宰になるのではなく、コーチを経ているのも、在学中に主宰を兼業するわけにはいかなかったからかなと…いやカズオは専務やってますけどね…蓮城寺べるに渡したような、あるいはそれ以上のレッスンをこなしていた仁は、プリズムショーにかける時間が1番多い生活だったのではないかと考えました。
  • 「似てない」にどうして傷つくんだろうというのは、未だ答えが見つかっていません。単純に容姿の点ならば、皇のような見た目になることに執着しそうなものですが、そうではないし…もしかしたらメガネを選んだのはそういう要素もあるのかもしれませんが。ただ、SSSを見てあの無関心そうに、おめでとうも何もなくただこれを言われたのだとしたら、その愛の自分自身への興味のなさに傷ついたのかもと思います。たぶんこれな気がする。

 

2007年 ヒロが法月家へ

  • 愛情に飢えたヒロがとても慕った結果仁の所有欲が歪んだ形で満たされてしまい、ヒロは仁にとって所有物でしかありませんでした(アニメージュ2014年7月号)。
  • (ヒロから見て)兄のように接し、一緒にゲームをするなど仲が良かったにも関わらず、ヒロは聖と仁が異母兄弟とは知りつつもなぜ執着するのかをしりません(SSS)。一方現在、ルヰには愚痴を聞かせていますが(2D☆STAR vol.13)これは仁にとってルヰが所有物とは違うということなのかもしれません。詳しくは後述します。
  • ヒロや聖は仁を憎んだりせず、むしろ好いているが、仁は2人に裏切られたと感じています(2017年ツヴァイテの集い・横浜)。ヒロはともかく聖にも裏切られたと感じているということは、仁にとって自分の望む存在でいないこと、思い通りにならないことを裏切りと感じるのでしょう。自分と同じでなければいけないというか、他者を受け入れるという概念が無いんですね。全く違う聖、孤独に共感できるヒロ、初めに仲良くできていたのは仁の生まれ持つ優しさや面倒見の良さからですが、自分と違うとわかると「私の前から消えなさい」(RL45話)となってしまうようです。聖の事も所有物と思うようになってしまっていたのかな…。

 

2008年 前哨戦にて仁、聖、黒川冷が対決

 

同年 聖、足を故障し現役引退、ジュネのコーチに

  • 私はこの件、仁は引退させたかったのではなくキングカップを欠場させたかっただけなのではないかという説を強く推しています。勝つためには何でもする仁が怪我をさせるという方法をとったのは後にも先にもこれだけですし、たとえ引退させる気があったとしても、「俺なりの正々堂々」で勝とうとし続けている仁が2度目をしないということは、少なくともこの件は仁にとっても正々堂々とは言えないのではないでしょうか。
  • 仁は聖に理不尽な借金を背負わせ、文字通り潰すことはすぐにもできるのに、そうして逃げ道を絶ったうえでプリズムショーの舞台に引きずり出し、そこで勝ったうえで潰したいと行動しています。聖に勝ちたいと思うということは、負けていると感じてしまう部分があるということです。ヒロ様の戴冠を目の当たりにしても負けたとすら思っていない(たぶんムック本か設定資料集からだったと思います)ということは、自覚の上では負けたと思っていないということなので、無意識下の劣等感になりますね。では、どこで仁は負けたのかと言えば、紛れもなくこの時です。2連覇という大挙を成し得るために、勝負を先延ばしにしようとした結果、仁は自らの手で1度の敗北を永遠の敗北にしてしまいました。もう聖とプリズムショーで直に戦うことは叶わなくなってしまいました。RLやSSSでそれぞれの挫折を、その克服を見ていると、仁にとっての挫折こそこの時で、相手を排除するのではなく自分の中に答えを見つけ、それこそが心の飛躍になるはずだったのだろうと思えて仕方がありません。
  • とはいえこのころの衣装でロードトゥシンフォニア跳んでるんですよね……もしかしたら仁なりに答えを見つけ、心の飛躍があったからこそプリズムアクトに到達したのにも関わらず初期のプリズムライブのように加点対象にならなかったのかもしれません。RLの世界でアクトが加点対象ならもっとみんな目指そうとすると思うんですよね…私たちはアクトがすごい技だと知っているから驚けますが、あの世界で初めてアクトを跳んだ仁がふさわしい評価をされてないのは、あの世界でのアクトはあれきりの、なんでもない技として収まってしまったのかもしれません。これこそが挫折だとしたら、プリズムライブの時の聖のように立場のある皇こそが認めなければならかったわけで、なんていうか…ふざけんなですよね……その経験があってプリズムライブを加点対象にするのに反対していたなら、仁さんは皇のあとを歩いてるだけじゃないですか。なんで皇に全否定されなきゃいけないんですか。すみません落ち着きます。
  • ていうかRL32話の回想で「このままでは冷どころか仁にすら勝てない」ってナチュラルに仁さんを見下したの私は永遠に忘れないからな……はい、落ち着きます…。

 

同年 仁、2度目のキングカップ優勝

 

同年 現役引退 エーデルローズのチーフコーチに

 

2010年 仁、エーデルローズの主宰に就任

  • 大学に通っていたなら卒業後1年ありますが、2連覇のために休学して居たり、皇が理事長になるのと合わせるための引継ぎなんかかあったのだろうと推察します。

 

同年 ヒロ、神浜コウジ、華京院中等部へ入学 ヒロは法月家を出てエーデルローズの寮へ

  • 仁科カヅキの面接の件について、仁はストリート系という概念を嫌っていますが、その志を持つ個人をも嫌ってるわけではありません。冷や大和アレクサンダーに対しても同じです。良くも悪くも偏見がないですよね。

 

同年 クイーンカップに優勝したジュネを口説くも、振られる

  • 仁はジュネにクイーンになるまで興味を示さなかったのに、クイーンになった途端「俺と付き合う価値がある」と接近します(プリンスアニメージュ2014spring)。まだ未熟なジュネは聖の母代わりになりたいと思いそのように振舞っているわけですから、仁はやはりそのジュネの母性のようなものに惹かれたのかなと。実際、自分の元に来てくれた時母の椅子にも座らせているし、自分が教育に励む姿をうしろで見守らせたり、「どうだジュネ、これが俺の力だ」という発言からも、先述の認めてほしいという思いがあると取れます。仁がジュネを本当に好き、という気持ちの内訳は、母が子を愛するように深く自分を愛してほしいという欲望なのではないでしょうか。

 

2012年 山田リョウ、キングカップ優勝

  • 育て上げたうえで意に背いたからと貶め潰す…(公式ムックReadySparking!)何したんでしょうね。ヒロ様の時みたいに女の影があったのかな(適当です)

 

2013年4月1日 聖、プリズムショー協会会長に就任

  • はちゃめちゃに余談ですが仁の髪の長さ、2010年(23歳)まではロングが確認できており、2013年(26歳)では短いです。24、5のどちらかで切ったということですが、私はこれを2012年25歳の時だと解釈しています。聖の髪が長くなったから切ったというのは無意識下のもので、皇の言いなりとして自我を持てずにいた仁にとって好き嫌いで髪形を決めることはできないだろうと推測します。アカデミーしか系譜がなかった時代に当たり前にその分野でトップを目指し、幼い仁に「これが美しいということ」と教えたコーチとか、あるいは親の言葉があって、それに従い服も髪も整えていたはずです。紅顔の美少年、フェミニン系としてかわいらしくも美しい姿に磨きをかけていた時代は、今のように魅せる筋肉ではなく跳ぶために必要最低限の筋肉で、華奢でかわいらしい容姿を全身に徹底していました。現役を引退し、30代の自分にとっての美しさを改めて一考したとき、今私たちがお風呂で拝見できるあのお身体に行きつきます。その肉体に合った髪としてショートヘアを選択した、という解釈です。30代の自分の理想を考えるきっかけが、20代の折り返しである25歳だったのではないかと思います。(絵を描くときに自分の中でこのへんをはっきりさせないとモヤモヤしちゃうからとりあえず解釈してるだけで全然違うかもしれないとぼんやり構えてます。)

 

2014年 仁、エーデルローズを去る

  • 顔にほとんどみえないようなちいさい物でも傷があるというだけで、仮面をつけずに外に出られないほど顔を大切にしているのにも関わらず、傷をつけた、殴った本人である冷個人に憎しみなどどいった執着心がない、というのは特筆すべき無関心です。顔を殴った程度では仁の気を引くことはできないんですね。仁の世界の重要人物は本当に両親と聖、ヒロ、そしてルヰくらいのもので、一般人はそう易々とそこには入れない。仁が孤高であることを思い知りますね。

 

2015年春 シュワルツローズ始動

  • ルヰが愚痴を聞いてくれるのが頼もしく、心地よいという関係は、端から見るよりずっと稚拙な友人付き合いということです。それまで友人のいなかった仁にとって初めての友であり、だからこそ今更になってそんな小学生とか中学生のような関係が心地よいと感じます。シリーズを通してみるとSSSでの距離がそれまでよりぐっと近づいていることがわかりますが、これは2作目終盤の「僕はあなたのそばにいます」があったからだと考えます。幻覚をたくさん見てるのは、素直に寄り添ってくれる人を手に入れたからこそそれまで手からこぼれていった愛、聖、ヒロを思い出すの…かな~?真田の頭を踏みつけるのを思いとどまらせる愛、脅威を感じた時の聖、屈服させられたキングのヒロと、そのどれにも仁が怯えているのが気になりますね。どんどん追い詰められて余裕がなくなっているのだろうとは思いますが…この辺りは考えても仕方がないのでおとなしく続きを待つとします。ルヰがさまざまなスターのデータを内包しているからだと4章の後付けで明らかになりましたが、となると愛もかつてはスターだったのかもしれませんね。
  • ストリート憎んで個人憎まずが出ているなあと思うのですが、仁はアレクの声好きというか認めてますよね。じゃないとデュオを命じたりしない…。
  • ジョージの加入は「オバレの対抗馬の3人ユニット計画が思うように進まない→YMT29を始動→YMTのオーディションでジョージ発掘→Theシャッフル始動」ということになりますかね。1作目の時点でこの計画のどの段階だったのか気になるところですが、SSS5話で語られなかった以上もう掘り下げることはないですかね…。3人ユニットが上手くいかないのが1作目の描写で、YMTの始動は2作目との間の話というほうがジョージの実力的にもしっくりくると思います。春から冬までのレッスンの実力が2作目、そこから秋までの実力がPRISM1となると、すべてを捨ててもトップに立ちたい覚悟がどうもハマらないように思います。2作目の時「そんなにすごいショーだったか?」と言われる程度のものでしたが、そこからPRISM1のあのショーまで短期間で仕上げたとなると、ジョージの覚悟やすごさが際立つように思います。

 

2016年1月頃 ヒロ、キングカップ優勝

  • 「俺はすべてを持っているぞ」を聞いたジュネは「何も持ってない人が何を言っているんだろう。かわいそうな人だな。なんとかしてあげたいな」と憐れみから仁のもとに行きます(公式ムックReadySparking!)。その結果、「大丈夫よ、きっとあなたを愛する人は現れる」と、仁の真に求めているものを見抜いています。おそらくはルヰも目的の達成とは別に同じような価値観で傍にいるのだろうと思います。ジュネもルヰも愛でいっぱいで、心がばらばらになりそうなほど誰かを愛していて、それに満たされてる今を満ちてると思っているから、それをもたない仁を何も持ってないと思えるんでしょう。名声や権力に価値を見出さない人にしてみればそれは無い物と同じかもしれませんが、少なくともジョージや、ヒロや聖だって仁がもつ愛以外の何か、孤高で在り続ける精神力やそう在るために何でもするという覚悟、身体を壊すほどの努力、そういうものを見て仁を好きだと感じたはずです。なんにもないなんて間違いです。

 

同年 WPF設立

 

同年春? ストリートデュオ大会

  • プリララをちゃんと走れてないので断片的ではありますが、仁がルヰと一条シンのデュオを許すシーンについて語らせてください。
  • あのエーデルローズだぞ!?と確認してなおルヰが食い下がると、まずルヰの身体の心配をします。これは、ルヰが健康であったなら渋々ながら3言目には承諾していたということです。身体は大丈夫だと食い下がると、渋々ではありますが特例として認めてくれます。この時の仁は(ルヰのショーが、それで見られるのならば…)という胸の内です。つまり仁は、ルヰのショーが見たいと思っていて、好きってことですよね。自分のプライドや聖への憎しみより優先できるほど大好きなのか、そもそも聖への憎しみが端から見たほど大きくないのか、私は後者だと思っています。憎しみが仁の心の器をいっぱいに満たしているのではなく、皇の言うがままでなくていいと、それまで閉じていた蓋がやっと開いて、まだまっさらなそこにぽつんとあるのが聖への憎しみなんだろうと思います。まだそれしかないから、器の大きさも外に出てくる感情以外になにを想っているのかも他人には知り得ないから、それでいっぱいに見えるだけで。感情の壺、というか、蓋が開いて初めに感じた自覚したそれが憎しみなだけで、ルヰと共に過ごす時間やルヰのプリズムショーを好きだと感じて、その感情が憎しみの隣に入れられた時、決して憎しみよりは大きくないけれど、でも憎しみに呑まれてしまうほど弱く小さいわけでもないのではないか、と。人間がふつう、嫌な思いを楽しい思いで忘れるみたいに、気晴らしをするように、仁にも楽しいとか、嬉しいとか、好きだとおもえることが増えたなら、聖の事を嫌ったままでも、憎しみしかないような振る舞いではなくなるのかもしれないと思います。それが仁にとっての救いになるのかもしれない。

 

同年夏 黄金像・会場爆破

  • めっちゃテロリストですよね。あの世界の一般人はどういう顔であれ見てるんですか?(私はヤバ~かっこい~~と思っています)

 

同年秋 PRISM1開幕

  • 「クイーンをとれたら次はトップアイドルにでもしてやろうか」という発言から「法月仁はスタァ>アイドル、そしてアイドルを兼ねるスタァが一番という価値観を持ってるんだな」と認識していることを前提としたジョージと仁さんと新生ザシャッフルについて。
  • YMTはオバレに対抗する(オバレのアイドルとしての仕事に対抗する、だと解釈します。個人のスタァとしての実力の対抗にはルヰやアレクを用意しているため)ユニットを作る過程で生まれたシステムです。つまりジョージは初めスタァとしての期待値は低く、「ソロでやれ」=「仁の中でジョージがトップアイドル止まりからトップスタァへの期待をかける存在になった」ということなのではないか、と。「歌の練習でもしておけ」が具体的にどの時期の発言なのかわからないのですが、プリ1には初めからルヰが出ることが決まっているのでおそらくデュオ大会あたりの時系列と推測します。ルヰの体調不良もあってこのころからジョージにスタァとしての実力をも求めるようになっていったのかもしれません。  
  • ジョージは売れるためならなんでもするという覚悟を見込まれ「そんなに言うなら売れさせてやる」と仁が試験を合格させました。この時からジョージの目指すトップスタァと仁の中でのトップスタァには違いがあっただろうと思います。仁にとってのトップスタァはかつての自分であり、それはヒロに求めた絶対アイドル愛NGとか、相応しくない相手とユニットを組むよりソロで、ユニットを組むにしろ相方より自分が格上だと舞台で示せ、というような「孤高のキング」です。一方ジョージの目指すトップスタァとは、「ファンから見たかつての法月仁」です。
  • 冷は言わずもがな聖もファンサービスはあまりないアスリート寄りで、仁はアイドル系のはしりです。ファンに囲まれ、もちろん仁もファンに対して紳士で愛想がよく、優雅な生活の特集が組まれるくらいですからリッチで…ジョージが大切な幼馴染ミヨちゃんに見せた姿が、ファン視点のトッププリズムスタァ法月仁だったのではないでしょうか。(この時に「仁に褒められる自分」をアピールしてないことから、ジョージは憧れの人にに認めてもらうよりどれほど人気があるかを重視していて、憧れてはいるが仁に依存してはいないのかなと思います。もちろん褒められたら一番うれしい相手だろうけどね!)
  • エィスをリーダーに置いたというのは、仁の性格からしてそれまでのジョージと同等のレベルだと認めないとしない判断です。どちらかを認めどちらかをおろした(ジョージを優先しシャッフルの完成度を下げたorエィスを認めジョージを追い出した)わけではなく、エィスの努力やあのデュオジャンプで二人の実力を認めたからこその異動なんじゃないかな。
  • 何をしてでも勝つという覚悟のしたにある、常人には到底なし得ない果てしない努力は、間違いじゃないと、仁のスタァとしての正しさを証明してくれるのはジョージなのではないかと思います。かつてのズルをしていた仁が好きで、仁が変わってもズルをして勝つ姿勢を変えない(SSS設定資料集)ジョージは、これから変わりゆく仁が否定してしまうかもしれないかつての仁こそを肯定し続ける存在です。ソロになったジョージが本当にトッププリズムスタァになった時、仁は自分のやり方が正しいと世界が認めるさまを特等席で眺めることになるんです。それが仁にとっての救いになるのかもしれない。
  • 「勝つためなら何をしてもいい」と指示していた仁が「実力で聖を屈服させなければ意味がない」と考えを変えました。明確な変化がいつのことなのか、SSSは春から夏にかけてそれぞれのキャラクターの成長を描いていますが、仁はほんとぜんっぜん描かれないんですよね!!後者の発言は大会当日のものなので、企画段階から当日までの心境の変化、ということになると思いますが…。とはいえその変化の理由は、間接的ではありますが監督の口から語られました。「自分の事を嫌いだった仁だが、ルヰ、アレク、ジョージと関わっていくうちに皆のことを段々好きになっていったため、自分のことも好きになっていく。他者を愛することは自分を愛することだから(SSSオールナイト上映会要約)」
  • RL時から仁は、尊大な態度からは意外にも思える自分に自信がないような言い回しがありました。所属が変わったジュネに対しての「私が主宰ではエーデルローズには居られぬというのか」(RL32話)本当に自信があって自分を愛している人は思いもしないことです。(同時期にジュネに「あなたは偽りのキング。人を貶めてまで上に立とうとする最低の人間」(RL44話)とは言われており、会話の内容からして自責の後だろうと解釈します。)愛した人、愛を期待した人も居ました。両親にはついぞ与えられることはなく、歪んだそれは支配欲として顕著し、仁が到底自覚できるような愛ではなくなってしまいました。誰にも愛されないという経験だけが仁の人生に蓄積されていきます。ルヰに出会いました。現役時代の自分の様に従順で美しい少年に自己投影して寵愛します。いつしかそれが自分自身の影ではなく、側に居てくれる他人だと気付きます。アレクに出会います。初めは組織を強化するため不本意のスカウトでしたが、実力に気付き始めプリ1ではそのショーに魅入るほどです。ジョージに出会います。自分に懐いて褒め倒すさまを「可愛いヤツ」と満更でもなく受け止めています(SSS設定資料集)。これまで仁が出会い無自覚のうちに好きになり、愛を期待した人たちとの違いは、仁が彼らに見返りを求めていないことです。シンを愛するルヰ、冷に憧れ、過去のズルをする仁に憧れ、今の仁とは違う生き方をするアレクとジョージ。ヒロや聖の様に思うまま支配しようとしていません。そうして懸命に愛情表現をしても、沢山の人を傷つけてきた仁の人生に寄り添う人はいません。でも、誰かの愛を渇望する仁はほかでもない自己愛をやっと芽生えさせることができたんですね。
  • スーツ姿父に似てない事件をふまえたSSS12話の愛から仁への「気持ちはわからないでもないわ…あの男…法月に似たのね」について。
  • これ、愛の内心は仁には計り知ることは難しいでしょうが、文面だけを見るとスーツ事件のトラウマを払拭する言葉であったことは間違いないと思います。事務的な会話しかなかった母から父の名前が出たことに仁はかなり驚き、この言葉をきっかけに「父はどんな人間だったんだ」と墓参りに行き、向き合うことが出来た(SSSオールナイト上映会)こともふまえると、仁にとっては良い言葉だったんですね。愛は一体どういう意図で発言し薔薇を散らしたのでしょうか。
  • まず、都市開発を白紙に戻した件についての謝罪に対して「気持ちはわからないでもない」というような反応をしました。愛自身聖のショーにあの旧校舎でときめいた過去があることから
  1. 旧校舎になんらかの思い入れがある気持ちを「わからないでもない」
  2. ルヰくんとの出会いや寵愛、プリ1での一連のショーのどこまでを愛が認識してるのか不明ですが、煌めきに魅せられる気持ちを「わからないでもない」
    のどちらか、あるいは両方にかかっていると思います。
  • 次に、法月皇に似たという発言。
    ・聖は皇を「プリズムショーを愛していた」人だったと語っています。作中で皇の人柄に言及した台詞がこれしかないこと、また舞台2作目の演出で補足された仁の心変わりの様子を見ると「仁もまた父の様にプリズムショーを愛している」という意味に捉えて差し支えないと思います。愛しているのか、そうか……。
  • 愛人と子供を作り自分と自分の子供を愛さなかった皇に似ていると愛が言うのは一瞬ヒヤとしますが、愛はそもそも皇を愛していない上聖に惹かれていた描写がありますから、そういった点を指したものではないと解釈しました。
  • ではなぜバラを散らすといった不穏な動作をしたのか、愛の胸中を察してみようと思います。愛は格を重んじる価値観で、皇のきらめきに惹かれる価値観とはそもそも違うものを持っています。聖の煌きに惹かれる描写があるものの、愛は結局誰も愛することをせずに今まで過ごしています。聖に惹かれた自分を自分で否定した結果なのではないかと思います。聖に惹かれながらも価値観をかえることをしなかったorできなかった愛にとって、仁が愛と違う行動をしたことを、嬉しいとも憎いともつかぬ複雑な感情で受け取った…ということなのではないでしょうか。愛は格を重んじる愛の誇りを守ったわけで、仁は格を重んじるといった愛譲りの価値観を今回曲げたわけですから、それが「散った」。仁にとってそうだったように愛にとっても格を重んじる価値観以外が凡人だと思えるのなら、それは仁が「愛とは違う人間になった」という意味での「散った」…言葉でまとめるのが難しいですが、そんな意味なのではないかと思います。仁の行動に対し肯定も否定もどっちもを込めた発言・行動で、これは仁が正しく「親の言いなり」ではなくなったことの現れではないかと思います。
  • では仁がそれまでの価値観や憎しみを全て無くしたのかといえば、あの場で総帥の服を着ていたこと、エーデルローズを潰す意思がまだあることが伺えることから、違うかなと。少なくとも本編で伺える限り仁は今回の勝ちに納得しておらず、完全に実力で屈服させるという望みは叶っていません。聖は仁の生徒の圧倒的な実力を伴うプリズムショーを見て負けたらきっと屈服ではなく感動するだろうと思いますし、これはぎゃふんと言わせたい仁としなやかな聖の応酬は続く…ただ、エデロ生のみんなや聖にとっても「エデロはもちろん大切だけど、無くなっても誇りをもってプリズムショーができればいい!」という、エデロや旧校舎に対する依存心のようなものは緩和され、仁も自己愛の芽生えにより以前ほどの執着は緩和されて行くでしょうから、敵ではなく好敵手になっていくのかな、と。
  • 仁がプリズムショーを好き、というのはRLでは伺い知ることができませんでした(私もKOP2作目までは仁はプリズムショーに執着はしているが好きなわけではないのでは?と思っていました)。が、プリララではっきりと「ルヰのショーが観られるならば(誇りを譲ってもいい)」と自覚している描写があってから、(少なくともルヰくんの)プリズムショーが好きだと、見たいと思えているのだな…と解釈していました。先述のようにジョージ回やアレク回でも伺うことができます。
  • しかし以前は、少なくとも敵であるヒロやカヅキたちのショーを好んでいるようには見えませんでした。誰もが魅力された聖のショーにも脅威を感じていた仁が、プリズムショーを楽しめるようになったのは、プリズムショー界隈でしか生きていない仁にとって己の身を脅かすショーでなく、自分の手がけた作品でもないルヰに出会ったことが、安心してみることのできるショーとの出会い…だったのではないかと思います。寄り添ってくれる友達が出来たから初めてプリズムショーを安心してみることができ、そうなって初めて、かつては脅威のほうを大きく感じていた冷のショーを彷彿とさせるアレクのショーに魅入ることができたのではないかと思います。
  • 親に愛されるために必死に営んできた人生において、仁の自我はとても希薄です。愛されるためには何をすればいいのかという必死さは、好みややりたいことなんてところには到達し得ない。そんな仁が他人を好きになり、プリズムショーを好きになり、自分を好きになることが出来て私は、私にとっては我が子の様に愛おしく、嬉しくて、大好き、大好きなんです…。

 

 

 

ふせったーなどでチマチマと投稿していた解釈などを織り交ぜて、一応現時点での完成稿としたく加筆修正いたしました。需要もなにもわかりませんが自分用なのでよし!もし誰かのお役にたっていれば幸いです。

本当に自分本位の解釈覚書なので不快に思われた方が居たら申し訳ありません。誰かを傷つける意図はありません。

 

ここまで読んでくださった方ありがとうございました。もし解釈が合えばぜひお友達になりたいです。